『楽しくなければ成果は出ない』-仕事と人生で圧倒的成果を出す方法-
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コース概要

みなさんはご自身の「仕事」を楽しんでいますか?
仕事がたまらなく楽しくて時間を忘れてしまうほど没頭してしまう方はどれくらいいらっしゃるでしょうか?

おそらく多くの方は、
・もっと資産性を上げて仕事ができるようになりたい。
・仕事の成果を上げたい
・コミュニケーションをとるのが苦手で周囲とのやりとりが難しい
・周りに気を使ったり、振り回されたりする自分を変えたい
・「仕事がつまらない」と感じている
といった悩みなどを少なからずお持ちかと思います。

これまで「好き」と「仕事」は別物として考えられることが多い印象でしたが、今は「ここから仕事を楽しんでいる人こそ成果を出せる時代」となり、どれだけ頑張っても「仕事を楽しんでいる人」が一番強い時代に移り変わっています。


そこで今回は、ドン・キホーテでお馴染みのテーマソングの作者・歌手であり、1万人以上もの社員やスタッフをマネジメントしてきた「ドン・キホーテ」の伝説の部長で、現在はエグゼクティブコーチとして株式会社フューチャービジョン・ラボ 代表取締役をつとめていらっしゃる田中マイミさんをお招きし、6月22日に発売となった書籍『楽しくなければ成果は出ない』(すばる舎)をもとに、「仕事と人生で圧倒的成果を上げる方法」について教えていただきます。
 

「仕事を楽しむ」ということはどういうことなのでしょうか?
新しい働き方とも言えるこの仕事術をみなさんと一緒に学んでいきましょう。

 

 

■登壇講師

田中 マイミ 先生
株式会社フューチャービジョン・ラボ 代表取締役

出身地 京都府京都市
3歳の時からピアノを習い始め、音楽と歌が大好きな幼少期を送る。
京都府立高校在学中に、大阪で行われた第一回ヤマハシンガーオーディションにてのべ700人の中から優勝。高校卒業後、上京し、ヤマハネム音楽院に入学。ボーカルレッスンを受け、19歳でデビューする。
その後、独学で作詞、作曲ができるようになり、2枚のシングルをシンガーソングライターとしを出すが、大きなヒットが出なかったことから、芸能事務所は辞め、作曲家やバックコーラスなどの仕事に転身。バックコーラスでは、谷村新司、森山良子、鈴木聖美、など。作曲家としては、ビートたけし、川島なお美、元ピンクレディー増田惠子、稲垣潤一、その他多数。
しかし、生活には困窮してしまい、アルバイトをしながら、音楽活動を続けていた。
幾つかのアルバイトをしていくうちに、ドン・キホーテのアルバイト時代に創業社長から何度も社員へのオファーが来る。
2度断ったが、3度目に短い期間でも良いとのことなので、一旦正社員になる。1995年7月のこと。
その後、スタッフでも複数店舗の担当部署の数値改善を図り、マネージャーに抜擢される。その時期にドンキの店舗販促のアミューズメントの基盤を独自の感性で築き上げた。それが今も店舗の販促になっている。
その後、創業社長からの依頼で店舗のイメージソングを作成した。それが今ではポピュラーなテーマソングとして巷で受け入れられている。
その後は、新店舗立ち上げからマーチャンダイジング、自部署の本部仕組み作り、人材育成などをこなし、部長に昇格し、実質的にナンバー3という立場で約20年間幹部とし活躍。当時年間売上800億の部署、部下アルバイト含め2500人、のべ人数では2万人規模の部長として、上級幹部300人以上を育成し、現在もその幹部達は全社的に各部署にて幹部として活躍している。
その間にメンタルコーチの資格や、カウンセリングの資格なども取得。
その後ドン・キホーの人材育成などを中心とした本社部署で本部長となり、その後子会社代表取締役として2年任期を果たす。
その後独立し、コーチング技術を使った、企業コンサル、エグゼクティブコーチング、企業研修、セミナーなどを軸とした会社、フューチャービジョン・ラボを設立。

 

■書籍

楽しくなければ成果は出ない』田中マイミ・著(すばる舎

担当の先生

田中 マイミ

田中 マイミ

株式会社フューチャービジョン・ラボ 代表取締役

出身地 京都府京都市。3歳の時からピアノを習い始め、音楽と歌が大好きな幼少期を送る。京都府立高校在学中に、大阪で行われた第一回ヤマハシンガーオーディションにてのべ700人の中から優勝。高校卒業後、上京し、ヤマハネム音楽院に入学。ボーカルレッスンを受け、19歳でデビューする。その後、独学で作詞、作曲ができるようになり、2枚のシングルをシンガーソングライターとしを出すが、大きなヒットが出なかったことから、芸能事務所は辞め、作曲家やバックコーラスなどの仕事に転身。バックコーラスでは、谷村新司、森山良子、鈴木聖美など。作曲家としては、ビートたけし、川島なお美、元ピンクレディー増田惠子、稲垣潤一、その他多数。しかし、生活には困窮してしまい、アルバイトをしながら、音楽活動を続けていた。幾つかのアルバイトをしていくうちに、ドン・キホーテのアルバイト時代に創業社長から何度も社員へのオファーが来る。2度断ったが、3度目に短い期間でも良いとのことなので、一旦正社員になる。1995年7月のこと。その後、スタッフでも複数店舗の担当部署の数値改善を図り、マネージャーに抜擢される。その時期にドンキの店舗販促のアミューズメントの基盤を独自の感性で築き上げた。それが今も店舗の販促になっている。その後、創業社長からの依頼で店舗のイメージソングを作成。それが今ではポピュラーなテーマソングとして巷で受け入れられている。その後は、新店舗立ち上げからマーチャンダイジング、自部署の本部仕組み作り、人材育成などをこなし、部長に昇格し、実質的にナンバー3という立場で約20年間幹部とし活躍。当時年間売上800億の部署、部下アルバイト含め2500人、のべ人数では2万人規模の部長として、上級幹部300人以上を育成し、現在もその幹部達は全社的に各部署にて幹部として活躍している。その間にメンタルコーチの資格や、カウンセリングの資格なども取得。その後ドン・キホーの人材育成などを中心とした本社部署で本部長となり、その後子会社代表取締役として2年任期を果たす。その後独立し、コーチング技術を使った、企業コンサル、エグゼクティブコーチング、企業研修、セミナーなどを軸とした会社、フューチャービジョン・ラボを設立。